あなたは、見栄っ張りな性格ですか? それとも謙遜タイプ?…多かれ少なかれ、人の目を気にして、つい虚栄心が出てくる。これは当たり前のことです。たとえ、それが本当の自分ではなくても、周りの人から「すごい」とか「素敵」だと思われたい。他者から高い評定を得たいというのは、集団で生きている人間の持つ本能です。
ところで心理学では、「虚栄心」には、2つのタイプがあると分類されています。あなたの持つ虚栄心はどちらの方が大きいでしょうか? まず1つ目は「本当はあったこと」を「そんなものはなかった!」と主張する「100→0」タイプの虚栄心です。心理学では「保守的な欺瞞」と呼ぶことがあります。例えばA大学の受験に落ちてしまったとします。そのとき、他の人に「自分はそもそもA大学なんて受験していない」「もう大学に行く気がなくなった」などと、受験自体をなかったと「0」にしてしまうこと。他にも、例えば、ある漫画に長年ハマっていたとします。でも友人たちと久しぶりに集まったときに、みんなが海外旅行やダンスレッスンといった華やかな趣味のことばかり話している。そんな状況で、「ところで、あなたは最近どんなことしているの?」と聞かれて、つい「私は別にハマっているものはない」と全部隠して「0」にしてしまうこと。
そのような気持ちは、なんとなく共感できる方が多いのではないでしょうか。別に自分に非があるわけではないのに、周りの人にからかわれたくない、バカにされたくない!だからとっさに「何もないです」と「100→0」と主張してしまう。これは誰にでもある当然の防衛的反応です。そのような経験が「特に」多いかも…という人は、「プライドが高いけれど自信がない」「自分に厳しいけれど不安が強い」というタイプではないでしょうか。
そして2つ目のタイプ。それは1つ目とはまるで反対で、「本当はなかったこと」を「そういうことがある!」と主張する「0→100」タイプの虚栄心です。これは「虚飾的な欺瞞」と呼ばれるものです。例えば、本当は映画を観ただけなのに「あの俳優さんとは知り合いの知り合いなんだ」と言ったり、ある主題歌のファンであるだけなのに、「あの制作には実はちょっと携わってるんだ」とか、話を大きく「盛って」しまう癖があることです。私のクライアントのケースでは、ごく一般的な方なのに、「海外の有名アーティストが自宅を訪ねて来た」「うちの家系を辿ると貴族しかいない」といったとりとめのない自慢(?)話をどんどんしていく人もいます。このような気持ちは、見栄を張るを越えて「話を作る」感じに近くなりますね。なので、そのような人に共感できるという方は、かなり少数派になると思います。
しかし、この「0→100」という虚栄心の満たし方は、3歳くらいまでの幼い子どもにはしばしば見られることです。「こんな怪獣が出てね。僕がひとりで倒したんだよ」「私の本当のおうちはお城で、お姫様も住んでいるんだよ」などとイキイキと話しかけてくれる子どもは、むしろ健康度が高く、言語IQと想像性に優れる子どもです。でも小学校に入る頃になると、そのような子はほとんどいなくなりますよね。
理由は2つあります。1つ目は、そのようなことを口にすると「ウソつきだ」と子ども集団から排除されてしまうことに気が付くから。そして2つ目は、幼い頃にやっていた虚飾的な自慢は、すでに周囲の大人から「へえ、そうなの」「すごいわね」「それでどうしたの?」と暖かく受容されており、もう心がすっかり満足しているから。幼い子どもは、ときに大人を試すようなファンタジーを口にしますよね。それは養育者の注目を引き付けることが、生存する上で必要なことだからです。そして多くの場合、大人はそれを全部受け入れます。そのちゃんと受け入れられた体験によって、子どもは自己愛や自己肯定感を確かなものにしていくわけです。
そう考えると、成人期を過ぎてからも「作り話」をするような見栄の張り方をする人は、気の毒に思えてくることがあります。幼少期に大人からちゃんと共感されず、むしろ相当小さな頃から「うるさい」「ウソをつくな」「静かにしろ」と話を遮られていたのではないか…と想像されるからです。発達心理学では、「人間は一生涯をかけて自己愛を確認しようとする」と考えられていますので、幼少期に満たされなかったことを、大人になって満たそうとやってしまうというのは自然な流れなのでしょう。
「100→0」の虚栄心と、「0→100」の虚栄心。あなたご自身や周囲の人を鑑みたとき、程度の違いはあるとしても、どちらも当然あるものです。自分の心を分析したり、人を理解しようとするときに、ふと思い出してもらえればと思います。
Photo by pixta
さて、次回は「落ち込んでいる人を見かけたらどうする? 上手な励まし方の心理学」についてお教えします。お楽しみに!
あなたは、見栄っ張りな性格ですか? それとも謙遜タイプ?...多かれ少なかれ、人の目を気にして、つい虚栄心が出てくる。これは当たり前のことです。たとえ、それが本当の自分ではなくても、周りの人から「すごい」とか「素敵」だと思われたい。他者から高い評定を得たいというのは、集団で生きている人間の持つ本能です。
ところで心理学では、「虚栄心」には、2つのタイプがあると分類されています。あなたの持つ虚栄心はどちらの方が大きいでしょうか? まず1つ目は「本当はあったこと」を「そんなものはなかった!」と主張する「100→0」タイプの虚栄心です。心理学では「保守的な欺瞞」と呼ぶことがあります。例えばA大学の受験に落ちてしまったとします。そのとき、他の人に「自分はそもそもA大学なんて受験していない」「もう大学に行く気がなくなった」などと、受験自体をなかったと「0」にしてしまうこと。他にも、例えば、ある漫画に長年ハマっていたとします。でも友人たちと久しぶりに集まったときに、みんなが海外旅行やダンスレッスンといった華やかな趣味のことばかり話している。そんな状況で、「ところで、あなたは最近どんなことしているの?」と聞かれて、つい「私は別にハマっているものはない」と全部隠して「0」にしてしまうこと。
そのような気持ちは、なんとなく共感できる方が多いのではないでしょうか。別に自分に非があるわけではないのに、周りの人にからかわれたくない、バカにされたくない!だからとっさに「何もないです」と「100→0」と主張してしまう。これは誰にでもある当然の防衛的反応です。そのような経験が「特に」多いかも...という人は、「プライドが高いけれど自信がない」「自分に厳しいけれど不安が強い」というタイプではないでしょうか。
そして2つ目のタイプ。それは1つ目とはまるで反対で、「本当はなかったこと」を「そういうことがある!」と主張する「0→100」タイプの虚栄心です。これは「虚飾的な欺瞞」と呼ばれるものです。例えば、本当は映画を観ただけなのに「あの俳優さんとは知り合いの知り合いなんだ」と言ったり、ある主題歌のファンであるだけなのに、「あの制作には実はちょっと携わってるんだ」とか、話を大きく「盛って」しまう癖があることです。私のクライアントのケースでは、ごく一般的な方なのに、「海外の有名アーティストが自宅を訪ねて来た」「うちの家系を辿ると貴族しかいない」といったとりとめのない自慢(?)話をどんどんしていく人もいます。このような気持ちは、見栄を張るを越えて「話を作る」感じに近くなりますね。なので、そのような人に共感できるという方は、かなり少数派になると思います。
しかし、この「0→100」という虚栄心の満たし方は、3歳くらいまでの幼い子どもにはしばしば見られることです。「こんな怪獣が出てね。僕がひとりで倒したんだよ」「私の本当のおうちはお城で、お姫様も住んでいるんだよ」などとイキイキと話しかけてくれる子どもは、むしろ健康度が高く、言語IQと想像性に優れる子どもです。でも小学校に入る頃になると、そのような子はほとんどいなくなりますよね。
理由は2つあります。1つ目は、そのようなことを口にすると「ウソつきだ」と子ども集団から排除されてしまうことに気が付くから。そして2つ目は、幼い頃にやっていた虚飾的な自慢は、すでに周囲の大人から「へえ、そうなの」「すごいわね」「それでどうしたの?」と暖かく受容されており、もう心がすっかり満足しているから。幼い子どもは、ときに大人を試すようなファンタジーを口にしますよね。それは養育者の注目を引き付けることが、生存する上で必要なことだからです。そして多くの場合、大人はそれを全部受け入れます。そのちゃんと受け入れられた体験によって、子どもは自己愛や自己肯定感を確かなものにしていくわけです。
そう考えると、成人期を過ぎてからも「作り話」をするような見栄の張り方をする人は、気の毒に思えてくることがあります。幼少期に大人からちゃんと共感されず、むしろ相当小さな頃から「うるさい」「ウソをつくな」「静かにしろ」と話を遮られていたのではないか...と想像されるからです。発達心理学では、「人間は一生涯をかけて自己愛を確認しようとする」と考えられていますので、幼少期に満たされなかったことを、大人になって満たそうとやってしまうというのは自然な流れなのでしょう。
「100→0」の虚栄心と、「0→100」の虚栄心。あなたご自身や周囲の人を鑑みたとき、程度の違いはあるとしても、どちらも当然あるものです。自分の心を分析したり、人を理解しようとするときに、ふと思い出してもらえればと思います。
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さて、次回は「落ち込んでいる人を見かけたらどうする? 上手な励まし方の心理学」についてお教えします。お楽しみに!