コンタクトレンズのアイシティ トップ>心理学者 植木理恵の瞳にまつわる心理学>メールに頼りすぎるのは危険? デジタルコミュニケーションの心理学
vol.36 2021/05/07

メールに頼りすぎるのは危険? デジタルコミュニケーションの心理学

メールやSNSは誤解を生みやすい

最近では、同じ部署で机が近い同僚とも、声をかけあわずにメールやSNSで情報交換をしたり、学生の間では友だちの噂話や恋愛の話も、電話でおしゃべりをするわけではなく、メールやSNSを使ったりする人が増えていますよね。

「メールはいつでも送信出来る」「記録として残せる」というメリットもありますが、何より精神的に楽だから便利なのです。本来は話下手な人でも、メールでは用件を強気に書けたり、相手の顔色を気にしなくても、一方的に主張しやすかったりするもの。つまり心のハードルが低くても使える。こんなに楽なツールがあれば、わざわざ会って話す必要はない気がしてきますね。

しかし、メールに頼りすぎるのは危険な面も。たとえば、本人を目の前にしていないと、いつの間にか上司や先輩に対して、文中の敬語や丁寧語が疎かになったり、失礼なことを書いてしまいがちになったりすることが近年の研究で分かっています。つまり、メールの中では地位がいつの間にか無視されやすく、相手との関係性が平板化されやすいのです。

友達や恋人同士のやりとりでも、軽い気持ちで書いたことが相手に「上から目線」「メールが冷たい」と感じられるなど、思いもよらぬことで怒らせたり、傷つけたりしてしまう。このようなことは意外と少なくないかもしれませんね。このように感情の行き違いが生じてしまった場合、取り返しのつかないことに発展することもあります。

自分の気持ちは会って、直接伝える方がベター

メールやSNSはドライな情報交換には便利ですが、感情の交換には不向きなようです。「本当はこんなことを考えているのだけど...」といった少しウェットな感情を吐露するときには、メールではそれが正しく伝わりません。心理学では妄想性認知というのですが、私たちは機械的な文字情報のみの場合、「こんなことを書いているけど、この人の本音は何なのだろう」と勘ぐってしまうからです。

また、個人差はありますが、すぐにメールの返信がないと「相手を怒らせたのかもしれない」とクヨクヨ悩んだり、「無視されているのかな。軽んじられているのかな」と思ったり、根拠のないムカムカに長時間さらされなくてはなりません。単なる情報交換ではなく、感情や考えなどを伝えたいときは、無駄な妄想性認知を避けなければなりませんね。

あまりメールに頼っていると、いつまでもコミュニケーション上手にはなれません。ですから、上手く組み合わせることが心理的に必要となってきます。最初のプレゼンではデジタルを駆使して、あなたの方が一方的に情報提供をしても、実際に仕事が実行される過程に入ってきたら、出来れば会って様子を伺ったり、せめて定期的に電話をして、相手の声の様子を伺ってみたりするなど、「人間臭い感情交換」も取り入れましょう。またトラブルが起こった場合でも、会えばすんなり解決することも多いのです。メールだけで「あの案件はどうなりました?お返事お待ちしております」と繰り返していると、相手の熱意やあなたに対する印象は悪くなっていくばかりです。

ニューノーマルの時代といわれて久しいですが、失敗のないデジタルコミュニケーションのためには、メールに頼りすぎは禁物。これは会って伺うべきか、これはメールの方が向いているのか、状況によって両方のバランスを取れるようになると、あなたは人から「この人は情熱のある人だな」と好かれますし、信頼もグッと厚くなります。そして仕事も人間関係も、ギスギスしたものにならず、快適に仕事がすすむようになりますよ。

これからはメール一辺倒からは卒業して、プロジェクトにかける思いや不満、心配事、やる気といった心理的な感情交換はなるべく会って話す。または電話やWEB会議などで伝えるように工夫してみませんか。

さて、次回は「何度も顔を合わせるほどいい? 人の好意度にまつわる心理学」についてお教えします。お楽しみに!

瞳にまつわる心理学トップに戻る